詰みゲー、積読、詰み映画……購入したのにすぐさま消化されず、城壁のような高さまで積みあがったコンテンツの数々。人はこれを大人の余裕と呼ぶ。
いや、呼ばない。
マンガであれば1日1冊、映画であれば週末に数本を消費すればよい。ゲームもコツコツ進めればきっと終わるだろう。それでもコンテンツが溜まってしまうのは、誰が悪いのか。答えは明快。自分しかいなかった。
久しぶりに映画を見た。『シャッター アイランド』というミステリー小説をもとにした映画である。
精神病患者が隔離された孤島に派遣された連邦保安官のテディと、相棒のチャックを軸にした物語だ。
目的は行方をくらました孤島の患者レイチェルを捜索することだったが、物語が進むにつれて雲行きは怪しくなっていく。恐ろしくも強大な陰謀が、この事件にはある……と気が付いたテディと視聴者は、謎に深く入り込んでいく。
私が何点か本作で気に入ったポイントを挙げるとするならば、テディが最後の台詞を紡ぐところ。そして、序盤に院長の家で吸っていたタバコの煙が戻る演出。
最後の台詞がどうであれ、解釈によっては物悲しさを抱く。個人的にはタバコを素直に受け取ったことから、間違いなく彼は何かを取り戻してはいたんだろうと思った。
かなり序盤にタバコの煙が戻る演出も憎かった。煙が戻る=過去へ巻き戻っている演出は、当時の出来事を想起させる。ここである程度の合点がいってしまい、なんとなく最後まで予想はできたが、本当にそうなのだろうかと思わせる演出と展開には脱帽だ。
細かい演出もさることながら、最後の最後まで思考を巡らせることを促すような仕組みに感動した。
惜しむらくは、私がこの映画を見るまで10年近くもかかってしまったことだろう。もっと早く出会っておきたかったものだ。
久しぶりに自分が行きたいと感じて、能動的にライブへ行ってみた。
そんなわけでGWの真っただ中に、東京国際フォーラム ホールAで行われた“早見沙織 JUNCTIONツアー”にお邪魔してきたのだ。
『JUNCTION』というのは、早見沙織さんの2ndアルバムにあたるわけだが、1stアルバムの『Live Love Laugh』に負けず劣らずの名盤である。
早見さんの魅力は、声質と演技――声優であるからして当たり前だが――だけにあらず、歌唱でも抜群の存在感を放つところにある。女性にしては高すぎず、低すぎもしない、非常にセクシーな声音が個人的には好きなのだが、これは歌という形でも聴き手にフィットする。
※あくまでも個人の感想であることを了承いただきたい。
ただし、前述の表現に断わりを入れるのであれば、声優としての早見さんは女子学生役でも違和感がなければ、女性教師役でも違和感がないと言える。これは、ひいき目なしにそう感じるのだ。
と、ここまでべた褒めした早見さんがどんなステージングを行うのか。ひたすら楽しみであった。なにせ、私は早見さんのステージを見るのが初めてであり、仕事以外でライブに伺うのは久しぶりであったからだ。もしかしたら、たまの休みということでテンションが上がっていたのかもしれない。
どれくらい楽しみだったかと言えば、家を早く出発しすぎて、一緒に参加する友人と会う前に、意味もなく家電量販店に入り浸ってしまうほど。
閉ざされた幕が上がっていく模様に目を奪われていると、それはさも当たり前のように、その人が舞台で歌うことが、ずっと前から決まっていたかのごとく始まった。
多少、呆気にとられていると、1曲目の『Let me hear』が披露された。
言わずもがなの名曲である。サビの歌詞などは、こっちの心情を汲み取るような表現。正直、『JUNCTION』を家で初めて聴いた時から気に入っていた。
まあ、厳密にメモをとっていたわけでもないので、セットリストは曖昧なのだが、『メトロナイト』を終わりに、アップテンポな曲は終わったように思える。
『白い部屋』からは、聴かせることをメインにした構成で歌声が会場を圧倒していた。私が早見さんの歌、もとい歌声で一番好きなのが高音部分である。儚げで、どこか消えてしまいそうな声は、この『白い部屋』で十分すぎるほどに感じられる。
この辺りからは、ステージの幕に映像を映す演出もあわさり、私を『白い部屋』の世界に誘う。
物悲し気な曲調の『白い部屋』は歌詞だけを見ると、非常に退廃的で、直接的に表現するならば暗い(笑)。感想を述べると、とても好みな曲なのだが。
続いて披露された『祝福』は、後ろ向きに前向きな曲である。雑に表現するならば、「今日はダメだったけど、明日からはいいことあるよね」といった、少し投げやりなポジティブを表現しているようにも思える。これは各々の解釈もあると思うが。
ありがちに前を向こうといった曲だけでなく、このようなバラエティに富んだ曲も聴けるのがシビれるのだ。
早見沙織ワールドは、しっとりとした曲調のものをいくつか歌い続けても損なわれることはない。彼女が歌うだけで発生する空気感とでも評したほうがいいのだろうか。それが会場に満たされていくのだ。
というわけで、ダラダラと書いても仕方がないので、私がもっとも聴きたかった『little forest』の話をしようではないか。
『little forest』は、恐らくクランチ気味のギターと、管楽器(トランペットかな?)、コーラスのみで構成されているシンプルな楽曲だ。
little forestとは、なんなのか。明言されてはいないが、これも聴き手に委ねられていると思うと、非常におもしろい曲なのだ。そして、思わず笑みがこぼれてしまうほどに、前を向こうと思わせてくれる楽曲でもある。
ライブではアレンジが加えられ、些末な表現であるが、深みが増したように思えた。ただ、やはり自宅で幾ばくかする値段の機械を介して聴く音よりも、実際に会場で聴く『little forest』は別格。音楽というのはこういうものだ。感情を揺さぶり、何かを引き出すものだと再認識させてくれた。
そんな満足感をおぼえすぎるライブを浴びたあとは、お酒もすすむものだ。今日は、生涯でも屈指の酒が飲めた。ありがとう。早見さん。
年の瀬です。12月としては比較的暖かい上旬が終わり、そろそろ下旬に差し掛かろうという時期ですね。
わたくしはと言えば、特に変わらない毎日を過ごしておりました。このあいだ、エマージェンシーを発する体のために億劫ながら医者に行ったのですが、結果が痛風リーチなどと年齢不詳感が増す事態にも見舞われ、少し困ったのも事実。そして毎日飲んでいたお酒を控えることになりました。
どうしよう、このままじゃ健康になってしまう! と、不安に駆られていたのですが、つい先日、急に喉が切れて出血するというメランコリー極まりない事件も起き、3日ほど喋れない日もありました。
このため日課の飲酒も喫煙も行えず、生きているような死んでいるような日々を過ごしております。
世の中は電飾まみれで華やか感じになっておりますが、個人的には薄暗い線香のような毎日です。気がついたら今年も終わりそうですし、どうしたものかと途方に暮れるのでした。
最近、自分でも何を書いているかよくわからないことが多々ある。
かなり支離滅裂なことを書いていることに気がつくのは最後に推敲しているときだ。うまくアウトプットができていなくて、完全に行間ではなく自分の頭の中だけで補完してしまっている部分がある。
これは僕の会話にも言えることなのだが、勝手に脳内で相槌や自分の考えを補完して会話を続けてしまうことがある。そのため、よく相手に「?」という顔されることが多い。
ちなみにぼくは会話の後に脳内反省会をするタイプなので、思い返したときに気が付いて申し訳ない気持ちになることもある。まともにコミュニケーションがとれない人間は苦労するのだ。
最近物忘れがひどい。
具体的には昨日なにをしたとか、どんな約束をしたとか、洗濯物を干し忘れたとか、仕事関係だとかなり致命的なものが多い。ちなみにぼくは昨日何を食べたとか食べ物のことはほとんど覚えていない。
人間は嫌なことを忘却しようとする機能があるそうだが――正直嫌なことばかりなので忘れようがない――本能的に忘れようとしているのだろうか。
生活に支障が出るようになったら病院に行くことも視野にいれよう。
若い時は記憶力がよく、かなりそれで得をしている部分もあったのだが、やはり老いには勝てないのか。それとも単純に脳みそを使っていなさすぎてさび付いたのか。
仕事に戻ろう。
今日は久しぶりに1時間くらい外をうろついていた。
やはり川沿いと市街では温度がかなり違う。昨日花火を打ち上げていたとは思えないくらい閑散とした河川敷だったが、夕方にはとても歩きやすい気温になっていた。
帰り際、夜の街を歩くと居酒屋に吸い込まれる。喧騒響く中、ぼんやりと飲む酒はうまい。木目が数えられるカウンターにつき、通しをつまみながらハイボールを流し込む。
塩で味付けされた串が美味だった。ネギま、ささみ。塩気の効いた鶏肉と若干焦げたような葱を一緒に頬張ると、肉の甘味と葱の若干の辛味と甘味が口内に広がる。旨みが逃げないうちにハイボールで流し込むのが至高だ。
ささみは見た目に反して柔らかい食感だ。山葵でアクセントをつければ、鼻の奥から抜けるようなピリッとした風味が加わり、淡泊な味にも飽きがこなくなる。
そんなこんなで串を肴にしばし……いや長々と飲み続けてしまった。少しお金を使いすぎてしまったような気もするが、外でお酒を飲む頻度は少なくしているので、たまにはいいだろう。
後ろの席で「人生について」という高尚なテーマで騒いでいた女性2人さえいなければ最高だった。恐らく年齢はあまり変わらないんだろうが……。